「むし歯になるので、砂糖の入った甘いお菓子を食べるのはやめましょう」と言われても、なかなか実行できないでしょう。発ガン性がはっきりしている煙草ですら、やめない人がいるくらいですから、むし歯(ウ蝕)のために砂糖を断つのは難しいと思います。「甘いものを食べても歯を磨けば大丈夫」と言う人もいますが、フッ素入りの歯磨きを使わない限り、歯磨きだけでは、むし歯予防に大きな効果は期待できません。歯磨きは、歯周病の予防には効果がありますが。
ここでは、甘い味を楽しみながら、むし歯を減らす方法がないのか考えてみましょう。
欧米の先進工業国では、近年、むし歯が急激に減少し、スイスなどでは、生徒の半数以上がむし歯ゼロで小学校を卒業するそうです。一方、日本では、一人当たりの砂糖の消費量が少ないのにむし歯の減少は鈍く、12歳児のむし歯の数が、欧米諸国の中には1本を切る国もあるというのに、日本では4本近くというありさまです(図1)。なぜ日本のような先進工業国でむし歯が減らないのか不思議がられ、外国の研究者がしばしば私に問い合わせてきました。その議論の結果、日本の子供にむし歯が多い原因に次の三つがあげられました。
@ フッ素の利用が少ない。(フッ素入り歯磨き、フッ素洗口など) A 学校や保健所でのむし歯予防指導が、系統的に行われていない。 B 間食に用いられる食品にむし歯にならない代用糖の使用が少ない。
食べ物、バクテリア(細菌)、宿主(歯など生体側の要因)、これら三つの要因が揃って、始めてむし歯の発生に至るというKeyes(カイス)の三つの輪による説明は良く知られています。しかし、この三つの要因のなかでも、実際には食べ物とむし歯はもっとも関係が深く、食べ物は、むし歯の発生の鍵を握る重要な因子となっています。
Marthaler (1959)の調査によると、図3に示すように、色々な国や地域の一人当たりの砂糖消費量と、むし歯の発生率(DMFT)には明瞭な関連がありました。この結果は口腔衛生指導が活発でなく、代用糖などはあまり使われていなかった時代のものですから、砂糖とむし歯の発生の関係がはっきり出ています。すなわち、砂糖の消費とむし歯の関係は極めて明白なのです。
(全体的に見るとこのようになりますが、個々人では、後述のように、砂糖を食べる総量よりも食べる頻度の方がむし歯の発生には重要です)
砂糖を食べると、歯垢の中に棲む細菌が砂糖(グルコ−ス、フルクト−スなどでも同様)を分解してこれを酸に変え、その結果、歯垢のpHが低下します。図4に見られるように、歯垢のpHは、砂糖を食べると5以下になります。一方、歯の表面を覆うエナメル質はヒドロキシアパタイトとよばれるリン酸カルシウムでできています。これは体の中で一番硬い組織ですがpHが約5.5より低くなると急激に溶け出します(図5)。
このようにして歯が酸で溶かされることが、むし歯の直接の原因となります。
普通の食事をしても歯垢のpHは5.5より低くなります。デンプンを食べても歯垢のpHは低下するのです。それゆえ、1日に3回の食事のたびに歯垢のpHは5.5以下に低下して、歯が溶かされ、むし歯になってしまう理屈になります。しかし、食事のときには唾液が多く分泌されます。すると、歯垢中の酸は唾液の成分(重炭酸塩など)で中和され、歯垢のpHは上昇してきます(図6)。そこで、歯から溶けだして歯垢の中にあったリン酸とカルシウムは、歯の表面に再び沈着し、歯が修復されます。唾液の中にもリン酸とカルシウムが多く含まれていますから、これらも歯に沈着して、歯を修復します。
それゆえ、1日に3回の食事をしている限り、簡単にむし歯になるわけではありません。
ところが、食事の間に間食をすると、歯が修復される間もなく歯垢の中で再び酸がつくられ、歯垢のpHが低下して歯が溶け続けます。ついには、歯の修復が追いつかなくなって、初期のむし歯が発生することになります。
NHKの番組「ウルトラアイ」の撮影のとき、西山さんというタレントを被検者にして実験したことがあります。眠る前に甘いものを食べた西山さんの歯垢のpHは、低下したまゝ回復せず、pH低下が少なくとも数時間以上続きました(図8)。これは、歯垢のpH低下を回復させていた唾液が、眠っているときにはほとんど分泌されないためです。「歴史は夜つくられる」などと言われますが、「むし歯は夜つくられる」ことが多いと考えられます。
国全体のような大きな単位ではなく、個人の単位で見てみると、砂糖を食べる総量よりも、食べる頻度の方がむし歯の発生と関係が深いことがわかっています。このことを示す研究は数多くありますが、その一つがスウェーデンのビペホルム精神病院で行われた有名な実験です。この研究によると、精神病院の患者に食事の時にだけ甘いものを食べさせると、むし歯の発生は少ないのですが、食間に間食として甘いものを自由に食べさせると、むし歯の数が著しく増加することがわかりました(図9)。
図10は、間食の回数とむし歯の数の関係を調べたデータです。間食がゼロだとむし歯がゼロになるわけではありませんが、間食の回数が増えると、むし歯が多く発生するのは事実です。
上記のことを考えると、間食を全くとらないことがむし歯を減らす方法として考えられます。しかし、これは多くの人にとって「言うは易く、行うは難し」でしょう。そこで、間食に、歯垢のpHを下げないようなものを食べて、むし歯の発生を減らそうと考えられています。
そのために、砂糖に代わるむし歯になりにくい甘味料(代用糖)が種々開発され、使われています。これらのものを砂糖と完全に置き換えることは現実的ではありません。砂糖は甘味料としてきわめて優れています。また、どのような代用甘味料でも、大量に食べると、為害作用が問題となります。国際的によく使われているキシリトール、ソルビト−ルなど糖アルコールの多くも、大量に食べると下痢をおこします。種々の甘味料を砂糖とうまく使いわけることが、むし歯予防の現実的な方法でしょう。
日本でも近年、「歯にやさしい」、「むし歯にならない」と表示したお菓子が多く出回っています。しかし、これらのもののなかには、砂糖と同じように歯垢のpHを5以下に下げてしまうものがあります。ほとんどのものが歯垢のpHを5以下に低下させてしまうと言っていいほどです。
国際学会のときにこの話をすると、多くの外国人研究者は「日本のような先進国でそんな馬鹿な」と言ってびっくりして、なかなか、この日本の現状が本当だとは信じてもらえません。
このような間違いは何に由来するのでしょう。それは、日本では、むし歯を予防する効果の判定が動物実験に大きく依存しているからなのです。動物実験で結核やチフスなどの病気の予防や治療に効くものは、ほとんどの場合はヒトにも同じように効果があると考えて良いのです。
しかし、むし歯の場合は、動物への効果とヒトに対する効果は大きな食い違いを生じます。この理由は多くありますが、根本的な理由は、「歯の表面を覆うエナメル質(図11)には細胞が全くないので、むし歯と云う病気は食習慣などの影響を大きく受けやすい」ためです。
たとえば、砂糖でできた飴玉は、普通に食べれば、むし歯をたいへんおこし易いものです。しかし、これを丸飲みにすれば、ほとんどむし歯を起こさないでしょう。チュウインガムがむし歯をおこすかどうかを判定するとき、チュウインガムを噛む習慣のないネズミでは実験できません。動物の食習慣はヒトとは全く違います。私は歯を磨くネズミを見たことがありません。
むし歯で侵されるエナメル質に細胞が全くないことは、結核やチフスのような細胞のある組織で起こる病気とのもう一つの大きな違いをもたらします。むし歯はこれらの病気と同様に細菌によって起こる病気ですが、むし歯を起こす特定な細菌はいません。
ミュータンス・レンサ球菌(ストレプトコッカス・ミュータンス)はむし歯を起こす能力の強い細菌です。しかし、結核菌が絶滅すると結核は地球から姿を消し、エイズウィルスがなくなるとエイズは絶滅しますが、ミュータンス・レンサ球菌が地球上から消滅しても、むし歯は絶滅しないのです。ミュータンス・レンサ球菌の他に、乳酸桿菌、低pHレンサ球菌のようなむし歯をおこす能力の高い細菌が歯垢に生息しています。
このような違いを理解しないために、まちがった「むし歯にならない」表示なってしまうのです。
しかし、これでは子供たちにおやつに何を食べさせたらよいのかわかりません。せめて食品をそのウ蝕誘発性によって、「ウ蝕誘発性」、「低ウ蝕誘発性」、「非ウ蝕誘発性」などとランク付けすることはできないでしょうか。このような試みは多くの歯学研究者によって懸命に試みられました。しかし、これには根本的な困難があります。
例えば砂糖でできた飴は、ふつうに食べられればウ蝕誘発性が高いものですが、これを丸飲みにしてしまえば、ウ蝕誘発性はきわめて低くなります。低ウ蝕誘発性の食品も、就寝前に食べればウ蝕誘発性は極めて高くなります。すなわち、食品のウ蝕誘発性は、その食べられ方によって大きく変動するのです。
むし歯を予防するためには、何を食べるか(What to eat)とともに、あるいはそれ以上に、どのように食べるか(How to eat)、いつ食べるか(When to eat)が重要になるからです。
一つだけ確実なことがあります。それは、歯垢で酸をつくらない、すなわち歯垢のpHを歯の溶ける臨界pHより低下させないものは、いつ、どのように食べても非ウ蝕誘発性であるということです。
上記の結論を利用した、国際的に広まっているむし歯予防の運動組織があります。それは、間食に歯垢のpHを低下させないようなものを食べるように指導し、歯垢のpHが低下する頻度を下げることでむし歯を予防しようとする試みです。
歯垢のpH変化を測る方法に「電極内蔵法」があります。義歯(入れ歯)の中に小さなpH電極を入れ、数日間かけて、その上に歯垢をつくらせてから、食べ物を食べさせて歯垢pHの変化を連続的に測定する方法です。この方法を用いて、歯垢のpHを30分以内に5.7より低下させない食品に図12のような「歯に信頼マーク」をつけることが許可されます。
歯垢のpHが約5.5以下になると歯が溶け出しますから、間食をとるときには「歯に信頼マーク」をついたものを食べるように指導し、それによってむし歯の発生を減少させようとする試みです(図13)。それゆえ、「歯に信頼マーク」を付ける食品は、間食に食べるスナック菓子類に限られています。日に3度の食事の時に歯垢のpHが下がるのはやむを得ないとして、食事と食事の間には、歯垢のpHを下げさせないようにして、歯の修復を助け、むし歯の発生を減少させるのです。
歯科医学研究者、歯科医師などが主導する、非利益・任意団体の国際トゥースフレンドリー協会(Toothfriendly Sweets Intenational)がこれを統括しています。この方法は、スイスで始まり、ドイツ、フランス、ベルギー、英国、イタリア、アルゼンチン、韓国などに広まりました。
1993年秋には日本にも協会(日本トゥースフレンドリー協会: Japanese Association for Toothfriendly Sweets;JATS)ができました。日本でもいくつかのキャンデーや、チュウインガムに、「歯に信頼マーク」(図12)が付けられています。
最近、アメリカでも同じ方法でテストして、歯垢のpHを5.7より低下させないものに、「むし歯をおこさない(Does not promote tooth decay)」と表示し「歯に信頼マーク」を付けて良いとの法律ができました。種々の糖アルコール間でむし歯への効果に差はないとも結論されました。
トゥースフレンドリー協会のテストは、必ず最終製品で行うことになっていますので、どの様な甘味料が使われているかということに、直接関与することはありません。しかし、お菓子には、シュガーレス、シュガーフリー、ノンシュガーなどと表示されているものを見掛けます。これは、表2のようなむし歯の原因になるスクロ−ス(蔗糖:砂糖)、グルコ−ス(ぶどう糖)、フルクト−ス(果糖)、異性化糖(グルコ−スとフルクト−スの混合物)など単糖類や二糖類(キシリトール、マルチトールなどの糖アルコール以外のもの)を0.5 %以上含んでいないものと定義されています(日本では平成8年5月に法律が制定されました)。シュガーレス食品の多くは歯垢のpHを低下させませんし、カロリーの低いものもあります。
しかし、シュガーレス食品のなかにはデンプンや三糖類などで歯垢のpHを低下させるものや、酸蝕症を起こす危険のある酸が含まれていることがありますから、このような表示だけで「歯に安全」とは限りませんし、カロリーが低いとも限りません。
したがって虫歯に関しては、口に入る前の最終製品で、科学的根拠に基づいたテストをしている「歯に信頼マーク」がついていることが重要です。
ことに、キシリトール、マルチトールなど種々の糖アルコールは、非ウ蝕誘発性の甘味料として、「歯に信頼マーク」付きの食品に、世界中で広く使われています。日本でもキシリトールのような優れた代用糖の使用が認可されたことは、日本人の歯の健康のためには、きわめて意義のあることと考えられます。
最近、チュウインガムの実験をして、その効果の大きさに驚きました。砂糖水で口をすすいだあとに、「歯に信頼マーク」の付いたシュガーレス・チュウインガムを噛むと、歯垢のpHがすぐに上昇してきました(図14)。チュウインガムを噛むことによって唾液の分泌が盛んになり、歯垢中の酸が速く中和されるためです。
やむを得ず甘いものを間食したときには、歯を磨くとともに、「歯に信頼マーク」の付いたチュウインガムを噛むのも良いかも知れません。ヨーロッパでは、食後にシュガーレスのチュウインガムを噛むことを推奨している国もあるほどです。
ただ、飴のように砂糖の濃度の高いものを食べた後では、チュウインガムを咬んでも容易に歯垢のpHが回復しないので、過度の効果を期待してはいけません。
日本の伝統的な食品である梅干しやスルメを噛んでも唾液の分泌は促進されます(図15)。そのため、これらのものを食べると、チュウインガムと同じように歯垢のpHが上がります。しかし、お茶を飲んだだけでは、歯垢のpHを上昇させませんでした。緩衝能をもつ唾液の役割の大きさがわかります。成人病の薬などの中には、唾液の分泌を低下させるものがかなり多くあります。このような薬を常用している人は、むし歯になる危険が大きいので注意をした方がよいでしょう。
砂糖はたいへん優れた甘味料です。これを食事のときにだけ食べていれば、むし歯をおこす危険はそれほど大きくありません。現在開発されている種々の代用糖も、味、価格、為害作用(副作用)などの面を総合して考えると、砂糖に優るものはまだありません。シュガーレス食品に多くつかわれている糖アルコール(表2)は、たくさん食べると下痢を起こします。ですから、チュウインガムや飴のように、食べる量は少ないが長い時間口の中に入っているようなものに代用糖を使うのが、もっとも適切な方法と考えられます。
喉の炎症や痛みをやわらげるためのトローチ類も長時間口の中に入っていますので、ヨーロッパの国々では、これらのものにも、「歯に信頼マーク」をつけて市販されています。残念ながら、日本のトローチ類の多くは砂糖などを含み、むし歯を起こす危険があります。むし歯の原因とならないように、その使い方に気をつけるべきでしょう。
欧米諸国では、子供に飲ませるシロップ系の感冒剤がむし歯を発生させるとして問題になっています。ことに、子供は薬を飲んだあと眠ってしまうことが多いので、むし歯の危険が大きくなります。
このようなシロップを添加された薬は、図16のように歯垢のpHを低下させます。その後に歯垢のpHを上げようと水でうがいをさせても、歯垢のpHはなかなか回復しません。
日本でも早く、歯に安全な甘味料を使ったシロップ系の薬剤が市販されるようになると良いのですが。
ここでは、食生活の面からむし歯を論じてきましたが、口の中には唾液の達し難い歯垢もあり、人によって歯垢のできやすい場所も違います。また、むし歯にならなくても、歯を磨かないと歯周病になりやすくなります。食生活の面だけではなく、口腔清掃(フッ素含有の歯磨剤を使っての歯磨き)、フッ素化合物の適切な使用など、多くの面からむし歯予防に気を配ることが大切です。むし歯は多因子性の疾患ですから。シュガーレスのチュウインガムを食べているから歯を磨かなくても大丈夫などと考えないで下さい。チュウインガムでは、歯垢はほとんどとれません。
私は、Keyesの三つの輪(図2)にあやかって、図17のような提案をしたいと思います。
すなわち、口の健康(口腔保健)を保つためには、食生活、歯磨き、フッ素の使用の三つ方面からの努力を平行して行うことが大切で、どれか一つが欠けても、しっかりした口腔保健が行われないという提案です。このうち一つだけを一生懸命行っていても、他の二つが欠けては、口の健康を保つことはできません。
1日3回の食事に、栄養物をカプセルにして呑むというSFにでてくるような生活をしない限り、すなわち、人が食事を楽しむという習慣をやめない限り、少なくとも一日に3回、歯はむし歯の危険に曝されます。このような生活をする限り、むし歯が絶滅することはありません。砂糖と代用糖をうまく使いわけ、食べ方に留意し、日々の少しの注意でむし歯の発生を減少させるように努力をすることが、実際的なむし歯予防の方法でしょう。
食べる楽しみは、毎日の生活のなかで大切な部分です。甘いものを食べる楽しみを保ちながら、自分の歯で噛む楽しみを一生もち続けるためには、食べ方の工夫は大切です。